客論

肩書なしで勝負できるか

医師になりたての頃、「先生」と呼ばれるのがとても気恥ずかしかった。

大学を卒業し、医師国家試験に合格したとは言っても実戦経験はほぼ皆無。毎日が冷や汗の連続であるのに、患者さんや看護師さんから「先生」と呼ばれる。大先輩の先生からも「先生」と呼ばれる。

最初は「はい!」と返事をするのにも勇気がいるほどだった。

それが今はどうだ。

「先生」と呼びかけない奴には返事をしない…ということはもちろんないが、近くで「先生」と聞こえると反射的に返事をしてしまっている自分がいる。時には別の先生が呼ばれているのに、自分が振り返ってしまうことすらある。「先生」=「自分」という感覚が刷り込まれてしまっているようだ。

医師として相対する患者さんは、ほとんどが「人生の大先輩」であるが、そのような方も私のような若造に「先生」と言って頭を下げてくださる。

取引先の業者の方も、私よりかなり年上の方でも、恭しく頭を下げられる。

しかしそれは、私個人に対してではなく、私の持つ「医師免許」に対して頭を下げてくださっているのだということを勘違いしないようにと心がけている。

休日などは、私はほとんどラフな格好で過ごしている。一見すると「若いお兄ちゃん」といった風情なので、医師と気づく人は少ない(最近は「客論」執筆の影響もあり少し顔が売れてしまったが…)。それが「お医者さん」と分かった途端に相手の態度が変わることがある。

もちろん、より丁寧に対応してくれるなど、いい方向へ態度が変わることが多いのだが、「医師」という肩書の持つ力を感じる瞬間である。

時々思う。

もし私が医師でなかったとしても付き合ってくれる人はどれほどいるのだろうか…と。

私自身に、一人の人間としての魅力はどれほど備わっているのだろうか…と。

「先生」と呼ばれて気を悪くする人はいないし、相手の名前を忘れた時も、取りあえず「先生」と呼んでおけば間違いがないのですこぶる便利な呼び方ではある。もはやニックネームと化している感覚すらある。

だが、自分は「先生」と呼ばれるに足る人間であるのかを常に自戒したいと思う。

と同時に、「先生」や「医師」という肩書なしで、一人の人間としても勝負できる男でありたいと願っている。

「医師」と「私」はもはや分けることはできない。だからこそ診察室から飛び出し、地域の様々な人と触れ合うことによって、地域に暮らす人の価値観やものの見方を肌感覚として共有したいと思っている。医師の論理に染まりきってしまわないように…。

小中学校の同級生などに会うと、「おう、榎本!」と言って頭を叩き、肩を組んでくる。まことに居心地のいい空間である。いつまでもそのような付き合い方のできる人間でありたいと思う。

最近、「医師にしておくのはもったいない」と言われることが多くなってきた。私にとっては最大級の褒め言葉だとありがたく受け止めている。